60年目の思い出話
この時節になると、戦争...太平洋戦争について取り上げられることが多くなります。
先日の法事の会食の席で、60年前の話が出ました。
当時、学生だった父の兄弟姉妹は、徴兵されることなく、空襲があるたびに避難する日々を過ごしていたそうです。
女学校に通っていた伯母たちは、伊勢や楠の東洋紡の工場に女工として後方支援に努め、実際に竹やりの練習もしたのだとか。
また、家にいた父以下は、空襲があるたびに非難する生活で、疎開先に歩く道では戦闘機からの機銃掃射をすぐ横で受けたのだとか。
父は空襲が始まると、飛行機から見つからないようにと布団をかぶって動いていたのだとか。
そんなことや他にも些細なことなどたくさんのことを、お酒も入ってのことだったこともあり、饒舌に語られました。
当時の家は空襲を逃れ、15年前まで住んでいました。100mほど離れた所は、空襲で焼けてしまったということは知っていました。
しかし、伯母叔父たちや、いつも通る道でそんなことがあったというのは、想像以上に戦争が近くにあったと実感しました。
これまであまり近いものと思えなかったのは、父方・母方共に戦死した親族がいなかったことも関係あるのかもしれません。
もう60年。
語り継がなければいけない、と言われますが、意外と身近にいろんな話があるようです。
当人にとって(だけではなく一般的にもかもしれない)は些細なことが、ある人には大きく感じること。
こうして聞いたこと、また先に伝えていかないといけないのでしょうね。
情報とは、情報源の認識以上に受け取る側にとっては価値があることもあるのです。
Category : 日々想々
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